各保険者の疾病予防を意図した保健予防事業費の増加を背景に、人間ドックをはじめとする健康増進マーケットは急成長を続けてきた。しかしバブル崩壊に伴う経済不況は、保険者の保険料収入の低下をもたらし、平成7年には約6割の健康保険組合を赤字財政に苦しめることとなった。それゆえ、最近では受診者数の伸びにやや翳りが見られている。
一方、医療機関においては、度重なる診療報酬の改定によって保険診療収入の伸びが期待できない中で、経営多角化の一環として保険外収入確保を目的として人間ドック事業への参入が増えている。
今後、国民医療費の抑制政策をうけて、保健予防マーケットは規模においてさらなる拡大が予想されるが、マーケットへの異業種からの新規参入も予想され、競争激化の様相を呈することとなろう。
「医療サービス産業論」の高まる中、人間ドック事業ひいては健康増進事業への参入の成否は、医療機関が経営多角化を推進する際の大きな試金石となろう。数々の調査の中で、国民の日常の関心事は「自分あるいは家族の健康」が常に上位にランクされている。筆者が思うに、この事実こそは、健康というものへのプロフェッションと見られている医療機関に対する期待の大きさと、その責任の重さの表れであろう。
本稿では、このような状況の中で人間ドック業界がやがて迎えるであろう大競争時代の中で、医療機関がその専門性を生かして人間ドック事業に参入する際の事業計画の立て方について論ずる。
最初に、人間ドックをはじめとする保健予防マーケットの概要について論ずる。
我が国における、健康診断を中心とする保健予防マーケットは諸外国に例を見ない形で発展し続けてきた。自動化健診を世界で最初に実施したカイザー財団オークランドクリニックを擁するアメリカにおいてさえ、現在では健診センターはほとんど活動が見られない。日本で生まれた人間ドックを受け継いでいるのは韓国、台湾くらいである。
我が国において、現在のような健康診断主体の保健予防マーケットを形作ってきた実施主体は以下の3者である。
昨今では人間ドック受診者数の増加に翳りが見られる。総合健診医学会の施設調査集計においても受診者数の伸び率は過去最低となっている。前述の通り、人間ドック受診者のほとんどは健康保険組合加入者であり、ドック受診の際は健康保険組合から何らかの費用補助を受けているケースがほとんどである。長引く経済不況の中で、健康保険組合は加入者からの保険料収入が上がらず、一方で老健法の拠出金の負担にあえぎ、62%の健康保険組合が赤字財政に苦しんでいる。その結果、多くの健康保険組合で人間ドック受診料の補助を削減する傾向が強くなっている。また、以前では健康保険組合の補助金以外の個人負担金も各企業が福利厚生費として助成していたが、同様にこれを打ち切る企業も多くなっている。
また、我が国においては欧米諸国に比べて「個人の健康は個人の責任で守る」という意識は低く、特にサラリーマンにおいては健康は企業が守ってくれるものという考えが定着している。自費で多額の費用を払ってまで人間ドックを受診しようとする人はきわめて少数であり、全体としての受診者数の伸び悩みの原因となっている。
しかし、受診者数伸び悩みの原因を費用負担の問題とするだけでは事足りない。受診者から自発的に受診を誘発する要因が施設側に見受けられないことも考慮する必要がある。受診誘発の一例として、近隣のゴルフ場と提携し、1泊2日の受診コースで初日に検査、2日目にゴルフをするといった、いわゆるゴルフドックのコースを設けている施設がある。この施設は、最寄り駅からの交通アクセスが悪いにも関わらず受診の予約は常に満員であり、再受診率も高い。
医療供給体制のありかたを考えると、必然的に病医院の機能分化の問題となる。ここで注意を要する点としては、日本の医療を特徴づけている「受療アクセスの良好さ」である。悪名高い「3時間待って3分間診療」に関しても、医療資源の効率的な配分の問題はあるにせよ、外来における受療アクセスの良さの背景となっていた点を見逃してはならない。裏を返せば「”3時間待ちさえすれば”紹介状が無くてもどこの病院でも自由に外来診療が受けられる」ことであり、このことは疾病の早期発見・治療といったメリットをもたらしてきた。これは我が国の医療制度の特徴である「受療における平等性」の一面をなすものである。
今後病医院の機能分化が進んだ場合、「受療におけるアクセスの良好」さが損なわれる危惧もあり、ひいては全体としての医療費抑制に反することともなりうる。その受け皿として健康診断に期待されるところが大きく、この面からも今後の拡大が期待される重要なマーケットとなろう。
病医院においては、保険診療のみによるレセプト収入の低下をここで取り返すべく、ケアミックス型への転換が迫られていると言えよう。
前項で述べたとおり、人間ドックはここ数年で過渡期を迎えている。マーケット全般としては、人間ドック受診者数は増加率にやや翳りが見えるものの、医療機関の参入意欲は衰えを見せず、今後のマーケット規模の拡大への期待感を受けて、競争は激化する。この競争に打ち勝ち、今後将来において必要とされる施設であり続けるために現在の人間ドックにおける問題点を考察する必要がある。
現在指摘されている人間ドックの問題点としては以下3点が挙げられよう。
現在行われている人間ドックの検査内容の画一性についても疑問視する声が現れてきている。ある面、健康診断の受診項目は秩序を欠いた形で拡大してきた。今後は個人の既往歴や生活習慣に沿った形での受診項目の取捨選択が必要となっていくことであろう。施設側の対応策としては「選択メニュー制」などがあげられよう。
現在までで人間ドックをはじめとする保健予防事業に関しては、費用対効果の分析はほとんど行われていない。わずかに新生児における代謝疾患に関する検診はコストに見合うことが検証されているのみである。
健康診断はあくまでもその検査を実施した時点での健康度を測るものであるが、異常なしとされた受診者は、次回の受診まで(大抵の場合1年間程度)健康を保証されたと思いこんでしまう風潮がいまだ根強い。特に人間ドックは自覚症状のない健康人を対象とするため、この点には特に注意が必要となろう。人間ドックにおける誤診・見逃しで争われるケースはほとんどがこの形である。施設側の対応としては、異常者に対するフォローアップ体制の確立である。また、「健康診断は健康教育へのトリガー」という原点に立ち返り、健康教室等を通じて受診者の健康意識の啓蒙につとめることも必要となろう。事務レベルまでも含んだ十分な精度管理と異常者に対してのフォローアップ体制、異常の程度による報告形態の段階化等の仕組みづくりは必須である。また、その体制こそが受診者及び契約団体に信頼感を与える最大のものである。
前章での人間ドックの現状及び問題点を考慮し、開設に当たっての基本コンセプトをまとめる作業にはいる。
まず、立地条件の分析を行い、ターゲットとする受診者層がサラリーマンなのか主婦なのかを見極める。昼夜の人口、世帯数、就業者数、年齢別の人口構成等通常の病医院開院時の市場分析と同様であるが、特に人間ドック事業の場合では受診者のほとんどが健保や事業所との契約となるため、地域における事業所や企業といった就労者数の側面からの分析も重要となる。
また、近隣の競合施設の状況を十分に分析する必要がある。その施設の年間受診者数・契約先団体・実施している健康診断の種類・得意とする健康診断の種類・施設の地域における知名度・来院する受診者の地域分析等、考えられるあらゆる側面から分析を行う。その上で競合施設に対する自施設の強み、弱みを的確に把握しておく。
上記作業の後、ターゲットとする団体に受け入れられる特徴を明文として打ち出す必要があろう。例えば、
「地域住民の健康管理を担う」等である。
「信頼感のある健診センター」
「ゆとりのある健診センター」
前記の基本コンセプトを受けて自施設の運営面での特徴付けを行う。自施設の立地条件は都市型なのか郊外型なのか、あるいは職域なのか住宅域なのかの判断は重要である。このことは検査項目、検査時間に影響する。具体的には都市型の立地条件の場合、受診者の流れは「自宅」→「検査」→「勤務先」となり、短時間での検査の需要が高くなる。必然的に、いわゆる「3時間ドック」等の健診メニューが必要となる。また、事業所健診の需要も高いと思われるので血液検査無しの一般定期健康診断は午後から実施する等の工夫も必要となる。逆に郊外型の場合受診者の流れは「自宅」→「検査」→「自宅」となり、短時間の検査よりも「ゆったり感」「静養」といったアメニティ重視の受診傾向となろう。 また、施設設計における、受診者の流れを規定する「検査動線」の検討も必要である。受診者の利便さと受診者誘導の融通性の高さから基本的には同一フロア受診を原則としたいが、実際には4フロアに渡る施設において見事な検査動線を誘導する施設もあり、絶対必要なものとはいえないものと思われる。また、後述する日本病院会の「総合健診優良施設認定」の要件として、一般患者と健診受診者が導線において交わらないことが挙げられている。将来において優良施設認定を取るためには施設の設計段階から考慮する必要がある。
設備については自施設の特徴付けとも関わるが、注意すべき点は、受診者の待遇を中心にレイアウトを決定する点である。医療機器会社に任せると、ややもすると検査機器の設置スペースと後方スペースを広めに取りがちであるが、受診者にとっては検査時間よりも待ち時間の方が圧倒的に多いのである。
検査結果の説明までの待ち時間を利用してストレッチングやリラクゼーションを実施している施設も増えきており、それなりの効果を上げている。
取り扱う健診の種類としては、日帰りドック、一泊ドック、成人病健診、企業健診(一般定期健康診断)、雇い入れ時健康診断等が考えられよう。企業、健保との契約がメインとなるため、労働安全衛生法の企業健診についても熟知する必要があろう。
今後、施設の特徴を表すものとして、専門ドックへの対応も考えられる。ストレスドック、骨ドック、脳ドック等があげられるが、自施設の経営資源とのかねあいで実施することが重要である。特に専門医なしでの脳ドック実施は効果が期待できない。
また、近隣施設との提携も考えられる。クアハウス(温泉型健康増進施設)、スポーツ施設、ゴルフ場など現在ではさまざまな付加価値を付与して成功している施設も数多くなっている。
総合健診医学会の施設調査集計によると9割以上の受診者が健康保険組合等の団体契約による受診である。よって、各団体への渉外活動が必要なのは論を待たない。ただし、やみくもな売り込みは健診では効果は期待できない。衛生管理者レベルの知識を有した渉外担当者の育成が必要である。最新医療情報の提供や健保の保健事業活動への積極的な参加等も有効である。最近では持ち出し可能な超音波骨密度測定装置を利用し、健保行事で骨密度測定サービスを行うことにより健保との関係を深耕するといった活動を行っている健診センターも見られる。
近隣事業所の産業医契約獲得の推進も有効な戦略である。特に平成8年10月に改正された安全衛生法への対応には注意を要する。認定産業医制度へも方向性を示し、今回の改正では見送りとなったが30人以上の事業所に産業医の設置を義務化する動きも現れている。
また、政府管掌成人病健診の認定をとることも検討する必要があろう。自動的に20〜30件程度の受診者を割り振って送り込んでくれる。ただし、単価は比較的低めの設定であるのでコストパフォーマンスには注意を要する。政府管掌健康保険組合に属している事業所が近隣に多いならば認定取得への活動をする必要があるが、認定に関しては完全に地域割りなので、近隣に認定施設がすでに存在する場合には認可は難しい。
一方、日本病院会における総合健診優良施設の認定は渉外活動において必須のものといえよう。各健康保険組合は、健康診断委託契約の条件として優良施設の認定を掲げているところが多い。
一時期に流行となったが、会員制ドック施設については必ずしも適切であるとはいえない。十分なマーケット調査が必要となろう。確たる計画無しに推進しても、会員募集当初はいわゆる「義理会員」が集まるだろうが、やがて先細りとなることは先例において枚挙にいとまがない。成功例としては、一般民間企業・都市銀行と提携し、会員募集は新規事業部として一般企業に任せ、医療機関として役割分担を明確に行っている会員制医療クラブがある。
前項でも触れた、日本病院会における「総合健診優良施設認定」について述べる。
認定のための要件はきめ細かくあるが、まとめると以下の三点となる。
@受診当日に結果説明ができること
検査データの管理の面からコンピュータシステムは必須である。最近では良質のパッケージソフトウェアが出回ってきている。うまく利用することが肝心である。オーダーメイドのソフト開発ではコストがかかりすぎるので極力さける方がいい。
A十分な検査精度管理がなされていること
検査機器のメンテナンスも必要であるが、精度管理についてはスタッフの質も問題となる。特に必要なのが教育・啓蒙体制であろう。各医療スタッフは十分なスキルをもって資格を取得し施設に入ってくるが、資格取得後の研鑽はいかがなものであろうか。また、事務スタッフの医療知識レベルはどうであろうか。
B一般外来部門から施設が独立していること
医療機器において診療と共用できるものはなるべくすべきだが、優良施設の認定については注意が必要となる。
同業他社のみならず、異業種からも広くベストプラクティスを取り入れる「ベンチマーキング」の手法も有効である。具体的には航空会社の接遇マナー、製造業におけるライン生産性管理など、ベンチマーキングの対象は医療業に特定する必要はない。一例として、一泊ドックでの客室への希望する朝刊の配達サービスなどは一流ホテルでは当然に行われているサービスであり、一考の価値があろう。
同業他社の場合、ベンチマーキングの対象は立地条件も考慮に入れて選択する必要がある。ありがちなことだが、郊外型の立地条件の施設が都心の知名度の高い健診センターをベンチマークし、受診者ニーズを見誤るケースは枚挙にいとまがない。ベンチマークする範囲を明確にして測定しない限り単なる物まねに終わるだけでなく、経営戦略に直接関わる上流課程においての見誤りであるだけに致命的ですらある。
前項までのポイントを考慮して、都市型立地での内科クリニックとしてテナントビルでの人間ドック施設開設の経営計画例を挙げる(図1・2)。
収益計画に関しては、即効性は期待できない。これまでの傾向として開設後3〜5年は受診者数は自然増加にある。この期間での収益確保見通しがその後の鍵となる。
また、直接的なドック収入だけではなく、間接的な増収も期待できる。健診センター開設により患者増となり、保険収入も増加した例は数多く見られる。地域に対する自施設のコンセプトのアピールとなったいい例である。
以上、概観したように人間ドックマーケットへの新規参入は病医院の財政への直接的即効的カンフル剤となることは期待できない。しかしながら筆者は医業経営コンサルタントの立場として、新規事業としての人間ドック事業への早期の参入を推奨する立場をとる。各保険者の保健予防事業への投資拡大、国民の健康管理意識の向上、医療政策での「国民医療費の削減」の至上命題といった要素は健康増進事業マーケットの今後の更なる拡大を示しているからである。重要なことは、事業として推進するに足る経営管理者の主体的な目的意識の有無であろう。前章で述べたことを考慮して計画立案すれば、人間ドック事業への参入は十分に収益確保となり得るのである。
医療機関を取り巻く経営環境は相変わらず厳しい。この状況は病医院にとって首をすくめて待っていれば回復する性質のものでは絶対にあり得ない。崇高な経営理念、そして存続理念を持ち続ける病医院がこの困難な状況を乗りきろうと真剣に模索しているならば、筆者は、医業経営コンサルタントとしての我が身のすべてを捧げることを惜しまず、その決意を新たにする次第である。
<参考文献>
・広井良典「医療の経済学」 日本経済新聞社
・池上直己 JCキャンベル「日本の医療」 中公新書
・日経産業新聞編「医療ビジネス新時代」
・内山久男「人間ドックの経営戦略ポイント50」 日本医療企画
・萩原哲夫「人間ドック事業の立ち上げ方」 日経ヘルスケア1995 12月号
・ダイヤモンドハーバードビジネス編 「ベンチマーキングの理論と実践」 ダイヤモンド社
・今田彰「医業経営多角化のチェックポイント50」日本医療企画
・高梨・吉田訳「企業戦略マニュアル」 ダイヤモンド社